倉吉線紀行 竹と廃線に丸田祥三を崇める

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倉吉線、私にとっては、そのようなローカル線あったな、C11だったっけ、的なイメージの路線でした。

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支局員通信の画像を見て、良く残っているなと思ってググると、旧泰久寺駅周囲が駅跡ともども廃線竹林として観光の史跡・名所になっていて、なるほどと思います。

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「廃景」の趣ですが、整えられた廃景なのは人の手が入っているからです。バブル以前ならば、文字通り遺「棄」された風「景」で、見向きもされず気味悪がられていたのですが、タイトルの写真家の作品群が詫び寂びとは別の趣を見つけたのです。

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作品群は30年近く前の発表だけれど、このような風景に少年の頃から興趣を覚えていた丸田祥三の感覚に驚くと共に、同じ風景を見ていた同世代の私は嫉妬も覚えるのでした。(笑)

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幼い時から丸田祥三に親しんでいた支局員、「廃景」画像を送ってきます。次世代に「丸田感」を繋げることができて嬉しいです、コレはもう伝統芸術です~♪

この記事へのコメント

鉄仮麺ライター
2020年12月02日 11:54
こんにちは。中学を卒業した春休みに但馬と境港の親戚宅に泊まりながら一人旅した際に停車時間を利用して駅スタンプを押す為に降りた倉吉駅で倉吉線のサヨナラ記念入場券が売っていたので買いました。あの時なぜ倉吉線に乗らなかったのか悔やまれます。
門ハイ(管理人)
2020年12月02日 18:41
昭和60年前後は、赤字ローカル線が続々と廃止になった頃でしたね。今、思うと、2年後の民営化の始まりだったようてす。15歳の春なら、私も同じことしてたと思います。ライダーさんの倉吉線は、私に置き換えると佐賀線になります、乗りたかった~(笑)

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